嘘をつくから喰ってくれ

生まれたときから独裁者

放任主義のなれのはて

私の親は放任主義だったと思う。

小学生の頃、朝は誰もいなくて、一人でご飯を作り、食べ、出かけていた。

電車を乗り継ぎ都会の習い事にいったり

中学受験も一人で決め、塾には行かせてもらえなかった。

大学に上がり上京した時には、一円も持たせてもらえなかった。ベッドも、洗剤も、何もなかった。バイト代が入るまでは食べるものもなくて、飢えてひもじく、上流家庭の子どもにENVYしていた。奨学金が出てだいぶらくになった。

私の家は貧しくはなかった。むしろ、豊かな部類に入るだろう。でも、私には、一円も持たせてもらえず、大震災の混乱の関東に送り出された。

そして、私が貧しく貧しくなったとき、なにか食べたくてさつまあげを譲ってもらったりしていたとき、実家の経済は私がいなくなったぶんどんどん派手になって、お母様はドレスやお着物を着て雑誌に出たり、妹はアプワイザーリッシェのダウンコートを買ってもらって、そして二人で、私の履く靴をずたずたでみすぼらしいと嫌悪していた。

 

一方で、過干渉だったとも思う。過保護ではなく、過干渉。21世紀だというのにインターネット、テレビには一切関わらせず、みんなが持っていた携帯電話もなかった。ああ、私だけが連絡手段がなくて、何も知らないこと多かったなぁ。

スカートも履かせてもらえなかった。

高校生になって携帯を持たせてもらえてからは、毎日メールをチェックして、私に悲しいことがあるとゲラゲラ笑って唯一の楽しみと言っていた。

 

私は、もし子どもが生まれたら、不安でないか見てあげたい。小学生の頃は、朝ごはんを作ってやりたい。あなたは嫌い、妹がすきなんて言わないであげたい。大学に上がる時には、少なくても援助のお金を持たせてあげたい。ぶたないであげたい。蹴らないであげたい。死ねとか穀潰しとか言わないであげたい。閉じ込めないであげたい。こんな重たく苦しい心を、どうにか持たないですむようにしてあげたい。

でも、できないのかな。私はお母様の娘だから。